aRb」が、
aが
bに対して関係
Rにあることを語っている。」ではなく、「
a」が「
b」に対してなんらかの関係にあるということが、
aRbということを語っているのである。
A]は「
A」と同じ記号である)
F(fx)が自分自身の入力項になりえると仮定してみよう。そのとき、「
F(F(fx))」という命題が存在することになる。ところがこの命題において外側の関数
Fと内側の関数
Fは異なる意味をもっているのでなければならない。なぜならば、内側は
φ(fx)という形式であるのに対し、外側は
ψ(φ(fx))となるからである。二つの関数に共通なものは文字「
F」にすぎない。だが文字それ自身は何も表さない。
F(Fu)」 の代わりに「
(∃φ) : F(φu) . φu = Fu」 と書くと、ただちに明らかになる。
aRb」という形式の命題を像として受け止めている。ここにおいて記号は明らかにそれが表すものの似姿である。
(x) . fx」と表しているものを、仮に「
fx」の前に(一般性を示す)目印をつけて、たとえば「
Alg.fx」と表したとしよう。これでは十分ではない。−−これでは、なにが一般化されているのか分からない。そこで
xに一般性の目印 「
a」 を添えて「
f(xa)」のように表したとする。これもやはり十分ではない。−−これでは一般性を示す範囲が分からない。
A」を導入し、たとえば「
(A,A) . F(A,A)」のようにしてみたらどうか。十分ではない。−−これらいくつかの可変項の同一性を確定できなくなる。等々。
~p」が偽なる仕方で表すものを、「
p」は真なる仕方で表すなどと言い出しかねない。等々。
p」で
~pのことを考えていたとしよう。しかも、事実が考えられていたとおりであったとする。そのとき、この新たな概念のもとで、「
p」は真であり、偽とはならないのである。
p」と「
~p」が同じことを語りうるということは重要である。というのも、それは記号「
~」が現実の何ものにも対応しないことを示しているのだから。
~~p = p)。
p」と「
~p」意義は反対である、しかしそれらには一つの同じ現実が対応する。
fa」は、その意義の中に対象
aが現れることを示している。二つの命題「
fa」と「
ga」は、それらがともに同一の対象についての命題であることを示している。
aRb」、
(∃x) : aRx . xRb」、
(∃x, y) : aRx . xRy . yRb」、
bが
aに対してこうした関係にあるとき、私は
bを
aの後継と呼ぶ。)
x」が対象と言う擬似概念に対する本来的な記号なのである。
∃(x, y)・・・」と表される。
א0個の対象がある」と語ることもできない。
1は数である」「ただ一つのゼロがある」といった表現、およびこれに類するものはすべてナンセンスである。
1がある」と語ることは、「
2 + 2は三時には
4に等しい」と語ることと同様にナンセンスである。
bは
aの後継である」という一般的命題を概念記法で表現しようとするならば、次の形式列の一般項を表す表現が必要となる。
aRb、
(∃x) : aRx . xRb、
(∃x, y) : aRx . xRy . yRb、
x」、「
y」、「
z」)で表す。
fx」, 「
φ(
x、
y)」 等の形式で書く。
p、
q、
rという文字でも表す。
=」 をおくことによって表現する。
a = b」 は、記号 「
a」 は記号 「
b」 で置き換え可能ということである。
b」 を導入し、その記号を既知の記号 「
a」 と置き換えるべきものと決めるとき、私はその等式−−定義−−を(ラッセルにならって) 「
定義 a = b」 という形式で書く。定義とは、記号の使用規則である。)
a = b」 という形式の表現は、描写の為の仕掛けにすぎない。それは記号 「
a」 「
b」 の意味については何も語らない。
a = a」 のような表現、又そこから導かれる表現は、要素命題ではないし、それ以外の何か有意義な記号でもない。(この点は後述する。)
n個の事態の成立・不成立にかんして、
n個の要素命題の真−−および偽−−の可能性が、同じ数だけ対応している。
p | 真 | 偽 |
p | 真 | 偽 | 真 | 偽 | |
q | 真 | 真 | 偽 | 偽 |
p | 真 | 偽 | 真 | 真 | 偽 | 偽 | 真 | 偽 | |
q | 真 | 真 | 偽 | 真 | 偽 | 真 | 偽 | 偽 | |
r | 真 | 真 | 真 | 偽 | 真 | 偽 | 偽 | 偽 |
n個の要素命題の真理可能性のどれと一致し、どれと一致しないかは
~p等々における入出力項であるとするならば、フレーゲの規定に従うと、「
~p」 の意味はまったく定まらないことになる。)
|
|-」は論理的にはまったく意味をもたない。それはフレーゲ(そしてラッセル)において、ただ彼らがこの記号のついた命題を真とみなしていることを表すにすぎない。「
|-」はそれゆえ、命題に付された番号と同様、命題の一部ではない。命題が自分自信について真であると語ることはできない。)
p,
q)」
p,
q)」。
n個の要素命題にたいして、
Ln個の真理条件の組が可能である。
0」が算術の記号体系の一部であるように、記号体系の一部である。
+c」 では、「
c」はそれが添付された記号の全体が、基数に対する加算記号であることを示す目印である。しかし、この表し方は恣意的な取り決めによるものであり、「
+c」の代わりに目印を持たない別の単純な記号を選んでもよかったのである。しかし、「
~p」における「
p」は目印ではなく入力項である。「
~p」の意味は、「
p」の意味が予め理解されていなければ、理解しえない。(ユリウス・カエサルという名において、「ユリウス」は目印である。目印は、つねに、その目印を付けた名の対象に対する記述の一部となっている。たとえば、「ユリウス家のそのカエサル」のように。)
(真真真真)(p, q) | トートロジー pならば p、かつ qならば q( p ⊃ p .q ⊃ q) | |
(偽真真真)(p, q) | 言葉で言うと : pかつ qということはない ( ~(p .q)) | |
(真偽真真)(p, q) | ” ” qならば p( q ⊃ p) | |
(真真偽真)(p, q) | ” ” pならば q( p ⊃ q) | |
(真真真偽)(p, q) | ” ” pまたは q( p V q) | |
(偽偽真真)(p, q) | ” ” q ではない( ~q) | |
(偽真偽真)(p, q) | ” ” p ではない( ~p) | |
(偽真真偽)(p, q) | ” ” p か q の一方のみ( p .~q :V: q .~p) | |
(真偽偽真)(p, q) | ” ” p ならば q 、かつ q ならば p( p ≡ q) | |
(真偽真偽)(p, q) | ” ” p | |
(真真偽偽)(p, q) | ” ” q | |
(偽偽偽真)(p, q) | ” ” p でも qでもない ( ~p .~q あるいは p | q) | |
(偽偽真偽)(p, q) | ” ” p、かつ、 qではない ( p .~q) | |
(偽真偽偽)(p, q) | ” ” q、かつ、pではない ( q .~p) | |
(真偽偽偽)(p, q) | ” ” q かつp( q .p) | |
(偽偽偽偽)(p, q) | 矛盾−−pかつ pでなく、 qかつ qでない ( p .~p .q .~q) |
q」の真理根拠のすべてが命題「
p」の真理根拠であるとき、「
p」が真であることは「
q」が真であることから帰結する。
pが
qから帰結する」とは、 一方の真理根拠が他方の真理根拠に含まれるということである。
pが
qから帰結するならば、「
p」の意義は「
q」の意義に含まれている。
p」のすべての対象を創造せずに命題「
p」が真となる世界を創造することはできない。
p . q」は、「
p」を肯定する命題の一つであり、同時に「
q」を肯定する命題の一つでもある。
pVqと
~pから
qを推論するとき、「
pVq」と「
~p」の命題形式間の関係はこの表現方法によって隠されている。しかし、たとえば「
pVq」の代わりに「
p|q . | . p|q」、「
~p」の代わりに「
p|q」(
p|qは
pでも
qでもない)と書いたとすれば、両者の内的関係が明らかになるだろう。
(x) . fxから
faを推論することができる、この事実が「
(x) . fx」というシンボルそれ自体にも一般性が存在していることを示している。)
pが
qから帰結する、そのとき私は
qから
pを推論することができる。−−「
pが
qから導出される」。
Aは
pが成立することを知っている」は、
pがトートロジーの時には、無意義である。
pが
qから帰結し、
qが
pから帰結するとき、両者は同一の命題である。
Wrを命題「
r」の真理根拠の数、
Wrsを命題「
s」の真理根拠のうち同時に命題「
r」のそれでもある真理根拠の数とする。そのとき、比
Wrs:Wrを命題「
r」が命題「
s」に与える確率の測度と呼ぶ。
Wrを命題
rにおける「真」の数、
Wrsを命題
rで「真」となっている同じ列で、命題
sも「真」となっている数とする。そのとき、命題
rが命題
sに与える確率は
Wrs:Wrである。
pから
qが帰結するとき、命題「
q」は命題「
p」に確率 1 を与える。論理的推論の確実性は確率の極限的ケースである。
pの真理関数の意義は
pの意義の関数である。
p」から「
q」を作りだす操作が、また「
q」から「
r」を作りだす、以下同様。このことは、「
p」「
q」「
r」等が可変項であり、かつそれらによって、ある形式的関係が一般的に表現されていることによってのみ表現可能である。
O'O'O'a」は「
a」に「
O'ξ」を三回繰り返し適用した結果である。)
a, O'a, O'O'a, . . . .の一般項を
[a, x, O'x]と書くことにする。この括弧つき表現は一つの可変項である。括弧つき表現の最初の項は形式列の初項であり、二番目は列の任意の項 x の形式であり、そして三番目は列において x のすぐ後に続く項の形式である。
~~p」における否定のように。
~~p = p)
p」、「
q」、「
r」等が要素命題でない場合にも意味を持つ。
p」と「
q」が要素命題の真理関数である場合にも、要素命題に対する一つの真理関数を表す。
∨,
⊃、 等々は、右、左、等が関係とされる意味では、関係ではない。
~と「
∨」を用いて定義される「
⊃」は、「
⊃」と「
~」で「
∨」を定義するときの「
⊃」と同じであり、また後者の「
∨」は前者の「
∨」と同じである、等々。
pからそれとは別の事実、例えば
~~p、
~~~~p、等々が無限に帰結しなければならないと言うことは、実に信じがたいことである。そして、無限個の論理学(数学)の命題が半ダースほどの「基本法則」から帰結するということも、これに劣らず奇妙な話である。
~~p」は、「
~p」を否定しているのか、それとも
pを肯定しているのか、それとも、その双方なのか。
~~p」は対象を否定するように否定しているのではない。否定命題の可能性は肯定命題のうちにすでに先取りされている。
~」と呼ばれる対象が存在するとすれば、「
~~p」は「
p」とは異なることを語っていなければならなくなる。なぜなら、「
~~p]は対象
~に関わっているのに、「
p」はそうではないからである。
~(∃x) . ~fx」が「
(x) . fx」と同じことを語るとき、あるいは「
(∃x) . fx . x = a」が「
fa」と同じことを語るときにも、現れる。
~p」という形式の命題だけでなく、「
~(p∨q)」や「
(∃x) . ~fx」といった形式の命題においても否定を理解するのでなければならない。まずある事例の組に対して否定を導入し、次に別の事例の組に対して導入する、というようにしてはならないのである。なぜならば、両者の事例において否定の意味が同じかどうかが疑わしいまま放置され、そして両者の事例で同じ記号結合の方法を用いるべき理由もなくなるであろうから。
p∨q」のみならず、「
~(
p∨q)」等々も同時に導入されているのである。その時また、すべての可能な括弧の組み合わせも、既に導入されていることになるだろう。そしてこのことから、本来的な一般原子記号とはけっして「
p∨q」や「
(∃x) . fx」等々ではなく、それらの組み合わせのもっとも一般的な形式であることが明らかとなるだろう。
∨」や「
⊃」といった見かけ上の関係は、本来の関係とは異なり、括弧を必要とする。この一見ささいな事実は、大きな意味をもっている。
fa」は
(∃x) .fx . x = a」
(−−−−−真)(ξ、......)
(ξ)」という形の記号で表す。「
ξ」は括弧表記内の項を値とする可変項である。そして可変項の上の横棒は、それが括弧内のすべての値のかわりであることを表す。
ξが三つの値
P, Q, Rをもつ場合は、
(ξ) = (P ,Q, R)となる。)
fxの提示、
xのすべての値に対する関数の値が、記述されるべき命題である。3、形式的規則の提示、その規則に従って、記述されるべき命題が構成される。この場合には、括弧表記内の項は、この規則によって構成される形式列のすべての項となる。
(−−−−−真)(ξ、......)」の代わりに「
N(ξ)」と書く。
N(ξ)は、命題可変項
ξのすべての値に対する否定である。
~p」が真であるのは、「
p」が偽のときである。それゆえ、真な命題「
~p」において、「
p」は偽な命題である。では波線「
~」は、この偽な命題
pと現実とをどのようにして一致させることができるのだろうか?。
~p」において否定するものは「
~」ではなく、この表記法において
pを否定するすべての記号に共通なものである。
~p」 「
~~~p」 「
~p V ~p」 「
~p . ~p」 等々を(無限に)構成する共通の規則である。そしてこの共通なものが、否定を反映するのである。
pと
qをともに肯定するすべてのシンボルに共通なもの、それが命題「
p . q」である。
pか
qのいずれかを肯定するすべてのシンボルに共通なもの、それが「
p V q」である。
q : p V ~p」は「
q」と同じことを語り、「
p V ~p」は何も語らないことが示される。
pを否定するすべての命題を構成する規則、
pを肯定するすべての命題を構成する規則、
pか
qのいずれかを肯定するすべての命題を構成する規則、等々がその表記法のうちに存在することになる。これらの規則はシンボルと同等であり、規則のうちにシンボルの意義が反映されている。
V」「
.」等がただ命題だけを結合することが、われわれのシンボルにおいて明示されなければならない。
p」や「
q」といったシンボル自体、すでに「
V」や「
~」を前提としているのである。かりに「
p V q」における記号「
p」が複合記号を表すものではないとすれば、「
p」はそれだけでは意義をもつことができない。そしてそのとき、「
p」と同等な「
p V p」や「
p . p」といった記号もまた意義をもつことができない。しかし、「
p V p」が意義をもたないならば、「
p V q」もまた意義をもつことが出来なくなってしまう。
a」が[
b」に対してある関係にないとき、それは
aRbが成立していないことを表現している、のように。)
xの値に対する関数
fxの値の全体を
ξの値とすると、そのとき
N(ξ)=~(∃x) . fxとなる。
(∃x) . fx」と「
(x) . fx」が一般性と真理関数という二つの概念を含みもつことの理解が困難となった。
(∃x ) . fx」を−−ラッセルがしたように−−「
fxは可能である」という言葉に言い換えることは、間違っている。
xが一つ、そしてただ一つ存在する」という表現のあとに、「そしてこの
xが
aである」と言うだけでよい。
(∃x, φ) . φx」において「
φ」と「
x」別々に言及しなければならないことに示されている。両者は、一般化されていない命題の場合と同様、それぞれ独立に世界に対して指示関係にある。)
(x) : fx . ⊃ . x = a)」という命題を考えてみれば明らかになる。この命題が語ることは、たんに、
aだけが関数
fを満たすということであり、
aとなんらかの関係を持つものだけが関数
fを満たすということではない。
aだけが
aに対してこの関係に立ちうると語ることもできるが、しかし、それを表現するためには、まさに等号そのものが必要となる。
=」の定義は十分ではない。なぜなら、その定義に従うと、二つの対象がすべての性質を共有する、と語れなくなるからである。(この命題は、たとえ決して正しくはないとしても、なお意義をもっている。)
f (a , b) . a = b」とは書かず、「
f (a , a)」(あるいは「
f (b , b)」)と書く。また、「
f (a , b) . ~a = b」とは書かず、「
f (a , b)」と書く。
(∃x , y) . f (x, y) . x = y」とは書かず、「
(∃x ) . f (x, x)」と書く。また、「
(∃x , y) . f (x, y) . ~x = y」とは書かず、「
(∃x , y) . f (x, y)」と書く。
(∃x , y) . f (x, y)」は「
(∃x , y) . f (x, y) . V . (∃x ) . f (x, x)」と書く。)
(x) : fx ⊃ x = a)」と書く代わりに、たとえば「
(∃x) . fx . ⊃ . fa : ~(∃x , y) . fx . fy」と書く。
(∃x) . fx : ~(∃x , y) . fx . fy」となる。
a = a」、「
a = b . b = c . ⊃ a = c」、「
(x) . x = x」、「
(∃x ) . x = a」等々といった擬似命題は、正しい概念記法では書くことさえできないことが分かる。
a = a」や「
p ⊃ p」といった形式の表現を使いたくなる場面もある。実際、原型について、すなわち命題、もの、等々について論じようとする場合である。たとえば、ラッセルは「数学の諸原理」において「p は命題である」というナンセンスを「
p ⊃ p」と記号化し、これを前提として命題の前に置くことによって、その項の位置をただ命題だけが占めることができるとしたのであった。
p ⊃ pという前提を置くことによって、その命題に正しい形式の項を保証しようとすることは、以下の理由からしてすでにナンセンスである。なぜならば、項として命題でないものを
pに代入した場合、前提
p ⊃ pは偽ではなく、ナンセンスとなる。またその前提によって保護しようとしている命題自身も、正しくない種類の項を代入されたならばナンセンスになる。それゆえ、正しくない項を代入させないようにするという点では、保護されるべき命題と保護するために付加された無意味な前提とは、まったく一蓮托生なのである。)
~(∃x ) . x = x」で表現したくなるかもしれない。しかし、仮にこれが命題であったとしても、それは「ものが存在し」、かつそれが自分自身と同一でない場合にもまた、やはり真となってしまうのではないか。
Aは
pであると信じている」や「
Aは
pと考える」といった心理に関する命題形式において、そのように思われる。
pが対象
Aとある種の関係を持っているかのように見えるのである。
Aは
pであると信じている」、「
Aは
pと考える」、「
Aは
pと語る」は、明らかに「
"p"は
pと語る」という形式になる。すなわちここでは、事実と対象との対応関係ではなく、それら事実に対応する対象間の対応関係を介した、事実相互の対応関係なのである。
Aが
pと判断する」という命題形式の正しい説明は、ナンセンスを判断することが不可能であることを示さねばならない。(ラッセルの理論はこの条件を満たしていない。)
p, ξ, N (ξ)] である。
N (ξ)を繰り返し適用した結果である、ということにほかならない。
x = Ω0'x
Ω'Ων'x = Ων+1'x
x, Ω'x, Ω'Ω'x, Ω'Ω'Ω'x, ・・・
Ω0'x, Ω0+1'x, Ω0+1
+1
'x, Ω0+1
+1+1
'x, ・・・
x, ξ, Ω'ξ] の代わりに、 次のように書く。
Ω0'x, Ων'x, Ων+1'x]
0 + 1 = 1
0 + 1 + 1 = 2
0 + 1 + 1 + 1 = 3
0, ξ, ξ+1] である。
p」と「
~p」を「
~(p . ~p)」と結合するとトートロジーを与える。それは「
p」と「
~p」が互いに矛盾していることを示している。命題「
p⊃q」、「
p」、「
q」を「
(p⊃q) . (p) :⊃: (q)」という形式に結合するとトートロジーを与える。それは
pと
p⊃qから
qが帰結することを示している。「
(x) . fx :⊃: fa」がトートロジーであることは、
(x) . fxから
faが帰結することを示している。等々。
p」「
q」[
r」等に代えて「
真p偽」「
真q偽」「
真r偽」等と書く。真偽の組み合わせは括弧を用いて表現する、図が例である。
p⊃qという命題を表すことになるだろう。そこで、命題
~(p . ~p)(矛盾律)を例にとってトートロジーかどうかを調べてみよう。われわれの表記法では「
~ξ」という形式はこう書かれる。
ξ . η」という形式はこう書かれる。
~(p . ~q)はこのようになる。
q」のところに「
p」を代入し、一番外側の真偽と一番内側の真偽の結びつきを調べてみれば、各項の全ての真偽の組み合わせに対して、命題全体が真であることが結びついており、偽は結びついていないということが明らかになる。
p」と「
q」が「
p⊃q」の形に結合されてトートロジーを与えるとすれば、そのとき
qが
pから帰結するということは明らかである。
q」が「
p⊃q . p」から帰結することを、われわれはこれら二つの命題そのものから見てとる。しかし、同じことを次のやり方で示すこともできる。−−それら二つの命題を「
p⊃q . p :⊃: q」の形に結合し、そしてそれがトートロジーであることを示す。
( 1 + 1 ) + ( 1 + 1 )」と解釈できること、これが「
1 + 1 + 1 + 1」の性質である。
(Ων)μ'x = Ωνxμ'x
Ω2x2'x = (Ω2)2'x = (Ω2)1+1'x = Ω2'Ω2'x = Ω1+1'Ω1+1'x
(Ω'Ω)'(Ω'Ω)'x = Ω'Ω'Ω'Ω'x = Ω1+1+1+1'x = Ω4'x
aと
bは、